【体験談】子どもファーストの離婚とは?養育費の支払いがなくても元夫と娘の面会交流を願う理由

更新日: 2023年07月25日

20歳で第一子を出産後、度重なる夫の借金の末に離婚を決意したKさん(40)。元夫から養育費が定期的に振り込まれることはなかったが、それでも元夫に対する恨みは一切ないと話す。現在は再婚相手との間に三人の子どもを授かり、会社員として働くワーキングマザーのKさんにこれまでの話を聞いた。

五度に及ぶ借金、暗黒の二年間を経て離婚

――最初の結婚生活について教えてください。

私は20歳で長女を出産後、当時はアルバイト勤務をしていました。元夫は普通の会社員で、パチンコやスロットなどのギャンブルが趣味。結婚してすぐにギャンブル関係の借金があることがわかり、結婚前に貯めていた私の貯金で返済しました。これが最初だったのですが、二度、三度と彼の借金は続きました。

その借金返済のために、住宅ローンの借り換えをして戸建てを購入したんです。金利の低い住宅ローン契約を結び、借金分と住宅ローンを一緒に返済すると返済総額が少なくなるんですよね。

まぁ、三度あることは四度も五度もあり……結果的に彼は自己破産したんです。

※写真はイメージ(iStock.com/kitzcorner)

――それが離婚の決め手となったのですか?

正確には自己破産する前に離婚をしています。私としては「借金は一緒に返していけばいいから頑張ろう」という思いがあったのですが、彼自身が追い詰められてフラストレーションが溜まっていた様子で。さすがに子どもに当たることはありませんでしたが、近くの物に当たることもありました。

とはいえ借金以外に彼に大きな問題はありませんでしたし、お互いに責任があると思っているので、彼が100パーセント悪いとは考えていません。

離婚が決まるまでの期間を「暗黒の二年間」と呼んでいるのですが、本当に苦しかった。両親が別れることなく幸せな家庭を築いてあげられないという子どもへの罪悪感が強く、どうにか結婚を続けたいけれど、これ以上続けるのは難しい……そんな葛藤に苛まれていました。

私が稼いだお金は家賃や固定費などの生活費に使い、彼は正社員とアルバイトで手にしたお金を全て借金返済に充てていました。いくら稼いでもお金は借金返済に消えるし、夜はアルバイトがあるから子どもに会える時間は少ない。彼も苦しかったのだろうと思います。

――離婚を切り出したのはどちらからですか。

苦しい時期だったのでよく覚えていないのですが、お互いに離婚届を持っているような精神状態でした。切り出すタイミングはほぼ同時だったと思います。約6年で彼との結婚生活を終えることになりましたが、タイミングが合うところが夫婦らしいというか(笑)。

娘が年長の秋のことでしたが、卒園まであとわずかという時期に転園させるのは可哀想だということで、離婚届けを出した後も半年間は元夫と一緒に住んでいました。お互いに吹っ切れたせいか、暗黒の2年間と比べるととてもいい関係性で、落ち着いて生活出来ました。

婚姻継続よりも優先したかったのは子どもの笑顔

――一般的には配偶者が度重なる借金をしていたら憤りを感じそうですが、Kさんにそうした思いがないのはなぜでしょう。

子どもに心から楽しいと思ってもらう理想の生活を送るにはどうすべきか、それを軸にしているからですかね。実は私の両親も私が中学二年生の時に離婚しているのですが、ドロドロとした感情が渦巻く悲惨な離婚劇だったんです。

母親に非があったことから、私たち兄妹三人の親権や監護権は父親側にありました。別れた母に会うことは禁止されていましたし、父方の祖母には会うたびに母に対する悪口を聞かされていて。

祖母と過ごした時間が長い一番下の弟は、最も母の悪口を耳にしていたので「僕はお母さんに捨てられてしまったんだ」と思い込んでしまった。私はその姿を間近に見て、育つ環境で人はこんなにも変わってしまうんだと感じました。

私は高校生になっていましたが気持ちとは裏腹に、その環境から弟たち二人を連れて助け出すほどの力はなく、苦しかったことを覚えています。

その辛かった経験が私の背景にあるので、一度結婚したからには離婚はするまいと思っていたんですよね。離婚をするかしないかという暗黒の二年間を過ごし、最終的に離婚に踏み切ることができたのは、子どもが楽しくなさそうだと思ったから。

大人なので自分の気持ちはどうにでもできますが、子どもを無理やり笑顔にすることはできません。結婚にこだわらず、私たちが別れた方が子どもの笑顔が増えるなら、と離婚を決めました。

Kさん

――元パートナーにネガティブな感情を抱いていないのでしょうか?

何と言えばいいのでしょう……人間関係に「家族」「友だち」「職場の人」といったジャンルがあるとするならば、私の中には「元夫」というジャンルもあるだけで、切り捨てるような関係ではないと思っています。

一緒に暮らしていた間に彼のことを知り尽くしているので、お互いにダメな部分をよくわかっている分、いい相談相手といった感じです。特殊ではあると思うのですが、再婚前も再婚後も、私と今の夫、元夫、私の弟で一緒に飲みに行ったこともあるんです。

公文書は交わさず「養育費は入っていたらラッキー」

――離婚後はどのような生活をしていましたか。

購入した家は借金返済のために売らなければならなかったので、私と娘は私の母と一緒に暮らすために県外へ引っ越しました。私には弟が二人いるのですが、弟たちも一緒に暮らすようになったので、人に囲まれているという点において娘は寂しくはなかったのではないかと思います。

ただ、やはり父親となると元夫一人なのでセンチメンタルな気分になることもあったかもしれません。

――養育費についてはどのような取り決めを交わされましたか。

離婚に関しては弁護士を立てず協議の上での離婚で、公正証書も交わしていません。口頭で「養育費は月3万」と一応決めていたのですが定期的に支払われることはなく、時々入っていたらラッキーといった感じでしたね。養育費は当てにしていなかったんです。

彼は離婚後もその時々の給与や家庭の事情を知らせてくれていたので、彼がどういう経済状況か私も把握できていたんです。だから催促することはしませんでした。

※写真はイメージ(iStock.com/fizkes)

小学生の時は毎月ではないにせよ頑張って養育費を振り込んでくれていたのですが、中高になると年に一回あるかないかという状況になってきて。彼も養育費を渡せていないことを負い目に感じていたのでしょう。娘が大学に合格したと報告したら、手続き費用の足しにと20万円ほど振り込んでくれたこともありました。

娘に会いたいならお金を払ってくれなんて気持ちは一切なく、むしろ、お金は要らないから娘の顔を見てあげてほしいという気持ちでした。ある程度大きくなってくると娘の方から会いたいと言ってこなくなりますが、娘と元夫は少しマイナス思考な部分が似ているので、元夫にしか話せないこともあったと思うんですよね。

――娘さんと元パートナーは定期的に面会していたのですか?

会ってはいけないと制限することなく、連絡をくれればいつでも好きな時に会えるような状態ではあったのですが、遠方だったのでなかなか会えていなかったのが実際のところです。

ただ、娘と元夫が定期的に会えなくても、私は娘の状況を彼に伝えたかったんです。中学でこんなことがあった、高校に合格した、今こんなことを頑張っているよ、と。会えなくても娘だから、せめて節目のことは知りたいのではないかと思ったんですよね。

娘の戸籍も親権も妻側、名字だけは元夫の姓

――再婚相手はどんな方ですか?

行きつけのバーで知り合った私と同い年の彼は未婚でした。当時の私は全く再婚を考えていなかったので、娘のことは伝えておらず。彼は長男ですし、私と付き合っていても彼に将来の展望が見えないことが申し訳なくなってきて別れを切り出したんです。

別れることに対して拒絶を示されたので、正直に離婚歴のことや娘のことを話したら「それでもいい」と。そうして再婚するに至りました。

――今のパートナーと娘さんの関係性について教えてください。

再婚前に彼と娘はよく会っていたので「一緒に遊んでくれるお兄ちゃん」という認識だったと思います。再婚して2年ほど経った長女が11歳の頃、私と再婚相手の間に子どもが産まれました。

10年間の一人っ子時代を経てできた兄弟を、娘は本当に溺愛し可愛がっていました。しかし兄弟が増えて、家事手伝いや兄弟の面倒をみる必要が出てきて、自分の好きなように何かができないことを苦しく思うこともあったのだと思います。

長女が反抗期を迎えると、再婚相手と意見の食い違いでぶつかることもありました。半分は血のつながり関係なく反抗期特有の衝突であったと思いますが、もう半分は血のつながりを意識した反抗だったのかもしれません。「前の父親はもっと優しかったのに……」という表情をしていることもありました。

私がケンカの仲裁に間に入ることもありましたが、特に高校生の頃は彼女なりにいろいろと考えることがあったのではないかと想像します。甘えられず、つらかったんだろうなぁ。父との関係は、今が一番落ち着いていますね(笑)。

その頃は元夫、彼女にとっては実の父が再婚した時期で、娘と一番会えていなかった時期でもあって。娘は昔一緒に住んでいた祖母、つまり私の母によく会いに行っていたようです。それに今でも元夫の両親、彼女にとっては父方の祖父母と彼女はよく連絡を取っていて、今でも年に一、二回泊まりに行っているんですよ。

シングルマザーだった時期にも娘をライブハウスやいろいろなイベントに連れて行ったり、実家で弟たちと暮らしていたこともあるせいか、子どもの頃から大人慣れしているというか、上手に周りを頼って自分から居場所を見つけに行く下地ができていたのかもしれませんね。

Kさん

――娘さんは二人の父親のことを何と呼んでいるのですか。

再婚相手の呼び方は「父」。下の子たち三人も同じように呼んでいます。長女は実の父のことを「パパ」と呼んでいますね。

実は私と長女の名字は違うんです。親権は私にあり、戸籍も住民票も私と同じ。しかし戸籍上、私は今の夫の姓で、娘は前の夫の姓という特殊な選択をしていて。

というのも二つの理由があって、一つ目は私の旧姓がかなり珍しいので名字が変わると目立ってしまうと思ったこと。もう一つは元夫との繋がりの証を持っていてほしいと思ったからです。ただ、名字が違うので住民票を見せたくらいでは親子と信じてもらえず、戸籍謄本を取りにいかなければならないので、そういった意味での不都合はあります。

――娘さんはKさんと姓が異なることをどのように受け止めているのでしょう。

申請さえすればどちらの名字にすることもできるので、中学、高校に進学するタイミングで私と同じ姓にすることができると伝えているのですが、娘もこのことを面白がっているようですね(笑)。

戸籍上は名字が違うままですが、学校では申請の上、再婚相手と同じ名字を名乗っていました。そんな娘も今は成人しているので、今後彼女がどんな選択を取ろうとも見守っていくつもりです。

自身の経験から私が学んだことは、親は選べないということ。プラスにしろマイナスにしろ、どんな親の元に生まれても、自分の人生の糧にしてプラスの方向に持っていくことが、その子の力です。

その力を身につけてもらうためにも、子どもを取り巻く周りの大人たちが後天的に良い環境を作っていくことが大切だと思うんです。子どもを不幸にするのも幸せにするのも、人間関係であり環境ですからね。

-子どもを中心に考えた離婚とは-

離婚をめぐる子どもの問題について「共同親権」の議論がなされているが、Kさんたちの場合は法の枠組み以前に、子どもを中心に考えた結果、離婚後も話にあったような関係性を保てているのではないかと感じた。四人の子どもたちの成長を見ることが何よりの楽しみだと、Kさんは穏やかな声で語った。

Kさんは納得のうえだが、養育費が支払われないケースを打破する法的な手段はあるのだろうか。東京山手法律事務所の塚本 亜里沙弁護士に聞いた。

【塚本 亜里沙弁護士監修】自己破産しても免責されない養育費支払請求権とは

養育費支払義務は、自己破産によっても免責されない債務ですので、相手が自己破産をしたことをもって、養育費の請求が不可能になるということはありません。月々の養育費額に関する当事者の合意があれば、相手の経済状況が上向きになった場合、これまで支払われなかった分の養育費を請求することはできます。

ただ、離婚時に公正証書を交わしていないとのことですので、養育費額に関する合意の存在自体を争われてしまうと、これまで支払われなかった分がいくらなのか、という問題が出てきます。

養育費の額について、何ら取り決めをしていなかった場合として扱われることが予想され、その場合、やむを得ず養育費支払を求める調停を起こす必要が出てきます。

裁判実務では、養育費額について何ら取り決めをしていなかった場合、過去の養育費分の請求を認めない扱いとなっていますので、その場合には、調停申立時(請求時)からの養育費の支払いが認められるということになり、「これまで支払われなかった分の養育費をまとめて受け取る」ことはできない、ということになります。

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弁護士: 第一東京弁護士会

塚本 亜里沙

東京山手法律事務所

〒160-0004 東京都新宿区四谷2丁目4番1ACN四谷ビル7階

平日:9:00〜17:00

初回無料

*料金詳細は各弁護士の料金表をご確認ください

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