【体験談/前編】離婚条件は親権者を夫、監護者は妻の両親に?主婦だった私が双子を連れて地元を離れるまで

更新日: 2023年01月25日

「夫と自身の両親が手を組み離婚を阻んだ……」と話すのは双子を育てる亜矢子さん。地元を離れ負の連鎖を断ち切るために離婚という選択が必要だったという亜矢子さんは、離婚を意識した段階でほぼ専業主婦。一人で双子を養育していくために国家資格を取得し、キャリアカウンセラーなどの仕事を得た。

幼い子どもから離婚を勧められる家庭環境

――元パートナーとの出会いから教えてください。

短大卒業後は地元福岡県にある日本最古の神社の一つと言われる神社で巫女をしていて、同じ職場で働いていた旦那とはそこで出会いました。見た目がタイプだったわけでもないのに、不思議と「この人の子どもを産んでみたいな」と思ったんです。

出会ってから2年後に付き合って、2009年に結婚。巫女は結婚すると続けられない職業のため、そのタイミングで退職しました。2011年に男の子と女の子の双子が生まれ、途中別居もありましたが、離婚したのは2020年です。

――離婚に至るまでの間、どのようなことが起こったのでしょうか。

そもそもお付き合いをしている時から、すごく短気な方だったんです。一番最初にそう感じたのは、アイスを食べる時に「一口ちょうだい」と言ったら、「俺の食べ物だ!」と怒ってきた時。そんな小さなことが何度かあって、今までと違う……と思ったものの、すぐに謝ってくれるのでその度に許していました。

しかし、結婚後も怒鳴ったり、物に当たって壁に穴が開くといったようなことがあり、子どもたちにその姿を見せることへの不安がありました。

――お子さんへの暴力もあったのですか。

子どもたちへの暴力はありませんでしたが、小学校に上がってから子どもに対する暴言が顕著になってきました。宿題に取り組む子どもの横に張り付いて、わからない問題があると「なんでできないんだ、このバカ!」などと言うようになってきて。その姿を見て、これ以上はもう無理だなと思いました。
双子のお子さん(提供:亜矢子さん)

――男女の双子とのことですが、お子さんに対する態度などに違いはありませんでしたか。

娘は元々、小さな頃から私のことしか受け入れず、旦那にはあまり懐いていなかったんです。

娘が3、4歳の頃から「離婚したら?」というようなことを言っていて、6歳の時にははっきりと「ママは離婚した方が幸せだよ」という一言をくれたんです。幼い娘にそう言わせてしまった時、やはりこの環境から脱さなければと思いました。

プライドが邪魔をして深刻に相談できなかった

――そのような状況の時、周囲に相談相手はいましたか。

私も気が強いので、旦那が理不尽に怒ってきた時は怒鳴り返すこともあったんですよね。周りの人に話した時に、「そうなるとDVじゃなくてケンカだよ」と言われてしまったことがあって。

それに私自身のプライドというか、家庭を守りたいという思いや、惨めな思いをしたくないという気持ちがあり、深刻な雰囲気で人に話すことはできませんでした。「今日もまたケンカしちゃったんだよー」とヘラヘラした話し方をしていたと思います。

当時ほぼ専業主婦だった私の状況を考えれば、周りの人に相談しても「一人で子どもを育てていくのは難しい。それなら我慢した方がいいんじゃない?」などと言うしかなかったことも頷けます。
(提供:亜矢子さん)

そのような状況が続き、結婚してから5年くらい経った頃、旦那と一緒にいると動悸や息切れが起こったり蕁麻疹が出るようになってきたんです。

その頃にできた幼稚園のママ友に、ヘラヘラと笑いながらそのことや家での旦那の様子を話すと「それってDVだしモラハラだよ。離婚した方がいいレベルだよ」と、とても真剣に私のことを心配してくれたんです。

同時に「でも、現状仕事も資格もないわけだし、子どもを育てていく上でしっかり自立していかないとね」というアドバイスをくれて。その時から、離婚するために自分に足りないものは何だろうと考え始めました。

「親権は夫、監護権は私の両親」?

――離婚を考えていることについて、亜矢子さんのご両親には相談しましたか?

実は、結婚前に旦那の暴力について相談したことがあったんです。私の実家は、祖父が神社の前役員をしていたり、市内では名家と呼ばれる家柄だったこともあり、親はとても世間体を気にする人たちで。

ほぼ一人で結婚式の準備を進めていた時に旦那と大ゲンカになり、タオルで顔を叩かれ、一瞬目が見えなくなってしまって、そのまま病院に駆け込んだことがありました。

その出来事や、今後結婚生活を送っていけるかという不安を両親に相談したら「今更結婚しないなんてあり得ない。あなたもキツイところがあるからお互いに頑張って改善していきなさい」と諭され、そのまま結婚に至りました。

――亜矢子さんが離婚を決意された時、ご両親からはどのような反応があったのでしょう。

2019年の年明け、些細なことから口論になり、私が旦那に蹴られる姿を見ていた娘が過呼吸状態になってしまいました。すぐに別居を決め、しばらく近くに住む両親の元に身を寄せることにしました。

その間も親には「あなたには仕事や資格もないし、何もできないじゃない」と責められていて……。その年の春、子どもたちが小学校にあがったこともあり、「もう一回やり直してみたら?」と親からの強い勧めを受けて旦那と再同居することにしました。

しかし、やはりうまくいかず旦那にも親にも行先を告げず、隣町に引っ越すことにしたんです。弁護士を立て、離婚の準備を進めることにしました。
※写真はイメージ(iStock.com/west)

――元パートナーはすぐに離婚に応じましたか?

いいえ……旦那からの離婚の条件は「親権は旦那側に、監護権はうち(亜矢子さん)の両親に与えること」。信じ難いことに、旦那と私の両親がタッグを組んでいたのです。

――なぜ、ご両親は元パートナー側につくことになったのでしょう……。

一人で子どもを育てるために、国家資格であるキャリアコンサルタントを取得しました。しかし地元では仕事が少ないため、子どもたちを連れて仕事の多い東京への移住を考えていて。

旦那も両親も、そのことが許せなかったようです。

離婚を通して本当にいろいろなことが見えてきたんですよね。私が子どもだった頃を思い返してみると、褒められた経験がなかった。高校や短大も普通に行かせてもらったし、両親は揃っていたけれど、正しい愛情を受けられなかったという思いがあります。

私自身、結婚している間はキャリアアップを目指すこともなく「もっと稼いでほしい」と、金銭面で旦那に依存していた部分があったことは認めます。そんな自分を省みた上で、親からかけられた「あなたは何もできない」という言葉を跳ね除け、一人で子どもを育てていくために国家資格を取得したし、仕事を得るためには地元を離れる必要があったのです。

後編:【体験談/後編】実感した地域による「離婚観」の違い。閉じた価値観から逃れるために

後編では、亜矢子さんが感じた地域によって異なる家族観や、子どものメンタルケアについて聞いていく。また、記事末にはAuthense法律事務所にの木村光伸弁護士に「親権と監護権の分割」について見解を聞いた。
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弁護士: 第二東京弁護士会

木村 光伸

Authense法律事務所 六本木オフィス

〒107-6222 東京都港区赤坂9丁目7-1ミッドタウン・タワー22階

24時間受付(平日/土日祝)

初回無料

*料金詳細は各弁護士の料金表をご確認ください

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