【体験談②】養子縁組を解消された私は戸籍上は母と姉妹に

更新日: 2023年03月02日

両親の離婚、引越し、転校、母親の再婚を一年の間に経験した井上詩穂さん(仮名)。始めのうちは母の再婚相手に歩み寄ろうとしていたが、井上さんへの暴力や暴言、努力を認めない姿勢に溝が深まってゆく……。第2回では、養子縁組を解消するまでの経緯と井上さんの想いを聞いた。

「私が大人にならなくちゃ」母の再婚相手からの虐待

――再婚相手の印象はいかがでしたか。

再婚前に何度か母とのデートに一緒に行っていたんです。その時は、私に歩み寄ろうとしてくれている印象がありました。事前に子ども好きと聞いていましたし、それならいい人なのかなと。

実の父のことをパパと呼んでいたので、新しい父のことはしばらく名前に「さん」付けで呼んでいました。でも「父親のことをさん付けで呼ぶのは変ではないか……」と段々と周りの目が気になりだしてきたこともあり、小学校三年生くらいからは「ちゃんとパパって呼ぼう」と意識的にパパと呼ぶようにしたんです。

新しい父と暮らし始めて最初の頃は、それなりに頑張ってパパに歩み寄ろうと思っていたのですが、しばらくすると本当に子ども好きなのか?と疑わしく思ってしまって。それというのも、すごく厳しいんですよね。

私が歩み寄ろうとしているのに、そんなに厳しかったらちょっと嫌だなと反抗期モードに入ってしまって。小学校二年生、つまり一緒に暮らし始めてすぐの頃から、少しずつ溝が深まってしまったのかなと、今振り返って思います。
※写真はイメージ(iStock.com/Boyloso)

――どんなふうに厳しかったのでしょう。

小学生の頃はさすがに手が出ることはありませんでしたが、真冬に裸足で何時間も外に出されたり。

小学生の頃は「突然父親になったばかりだから仕方ない、私が大人にならなくちゃ」と思っていたんです。でも中学生になると「いや、冷静に考えると、人としてこの行動はおかしいのではないか」という思いが湧いてきたんですよね。

父に何か言われた時、納得できなかったら堪えるのではなく、思いをぶつけるようにしました。そうしたら私に口で勝つことができないから、馬乗りになって拳で殴られて。

――酷い……お母さんはそれを知っていたのでしょうか。

母が見ている時は止めてくれたのですが、母が見ていないタイミングや隙をついてそういうことがありました。

父は母のことが大好きなんです。自分の知らない母の過去を娘の私は知っていて、その分、絆も深いわけじゃないですか。そこにヤキモチを焼く、子どもっぽいところがある人なんですよね。

私のことを心配して母は再婚相手との離婚を何度か考えたことがあったようです。結局、離婚することはありませんでしたが、改善策として父が一カ月ビジネスホテルに泊まって、物理的に距離を置けるような手配をしてくれました。

――お父さんは、井上さん以外のご姉妹にも厳しかったのですか?

私の下には、母と再婚相手との子どもが三人いて、一番下の子とは一回り年齢が離れているんです。幼いから父が厳しく言ったところで理解できない。だから私だけに父の当たりが強くても、妹や弟を羨むことは全くなかったです。

最近、中学生になった妹に会った時に「パパが厳しい」とグチをこぼしていたので、父は根本的に厳しい人なのだと思います。ただ、妹たちが殴られたことはなかったようで、私の時よりも角が取れて丸くなった部分はあるのかな……。

あれは誰が見ても虐待だったと思うのですが、仮に父が捕まったとしても、父親が犯罪者と言われる妹たちが可哀想なので家族以外の誰にも言えなかったと思います。

継父から放たれた数々の言葉の暴力

――ケンカの種というか、父親が井上さんに指摘する内容はどういったものでしたか。

少しでも掃除できていない箇所が残っていると、やり直しをさせられたりといった生活面での厳しさもありましたが、勉強についても厳しかったです。

中学生になると定期テストが始まるので、夜中に勉強をしていると寝落ちしてしまうこともありますよね。頑張っていることは評価してもらえず「何で電気を消さずに寝るんだ!電気なんて一秒もあれば消せるだろ!」と怒るわけです。

結局、部屋の電気を外されて使わせてもらえなくなってしまいました。

――それでは勉強できないですよね。

それなのにテストの点が悪かったらめちゃくちゃ怒られるという。矛盾してますよね。

カーテンを開けて月明りで勉強するにも限界があったので、100均で買ってきた懐中電灯で照らしながら勉強していました。厳しいと言うよりも、当時の私としてはいじめられている気分でした。

家庭教師や塾に通って勉強したかったのに「テストで〇点取れたら通わせてやる。意欲や姿勢を見せろ」と矛盾したことを言われて、やる気が削がれていって……。
※写真はイメージ(iStock.com/elenaleonova)

――そういった家庭環境の中、学校生活はどうでしたか。

思い返すと中学に入学した頃が一番メンタル的にきつい時期でした。家庭もそんな状況だし、担任の先生とも相性が合わずストレスから髪の毛を自分で切ってしまったことも。

でも学校生活に慣れてからは、すごく真面目な優等生キャラになったんです(笑)。先生の期待に応えない行動は絶対にしないと決めていました。

父があまり生徒会やクラスの代表などをやるタイプではなかったので、逆に私がそこをやってやろうと。でも父に評価されることは一度もなく、母方の祖父母だけが喜んでくれました。

県をまたぐとはいえ、一時間ほど歩けば行ける距離だったので、気持ちが落ち込んだ時に訪れていたのはいつも母方の祖父母の家でした。何事も否定から入る父とは違い、私のことを尊重してくれる空気感が嬉しくて、心地よかったんです。

父には絶対に受からないと言われていた第一志望に無事に受かった時も、お祝いの言葉をかけてかけてくれたのは祖父母で、父には「落ちればよかったのに」と言われた記憶があります。

養子縁組を解消し他人になった父と娘

――高校生になって、家庭や学校生活で変わったことはありますか。

高校生になったのでスマホが欲しいと話したら、自分のアルバイト代で買えと言われて。でも同時に、やりたいことができたんです。

部員の子たちが入ってほしいと声をかけてくれたこともあって、バレー部のマネージャーをやりたくて。強豪校だったので遠征費用もかかるし、週6の練習ではアルバイトも難しい。

そのことを父に話すと「スマホを買うためにバイトをすると約束したのに、忙しいバレー部に入るなんて無理だ!」と大反対されました。でも私は、すごくやりたいことだったので何日もかけてお願いしましたが「バレー部に入るのなら学校を辞めろ。ここは俺の家だから嫌なら出て行け」と言われました。

諦めるとしか言わせない、その選択肢って何?……もう我慢の限界でした。

家で嫌なことがあった時は、いつも味方をしてくれた祖父母の家に行っていたのですが、家であったことを話すと、祖父は「そんな言い方をするならば詩穂はうちで預かる!」とすごく怒って。本来は親がやるべきことを肩代わりしていた部分が多々あったので、これまでの蓄積からくる怒りでした。

それに対し、父は「詩穂が出ていくのなら養子縁組は解消する」と返して、本当にその通りに。母の再婚相手との養子だった私は実質、父と他人になったんですよね。

母方の祖父母の養子に入ったので、名字も祖父母のものに変わり、戸籍上は母と姉妹ということになりました。
※写真はイメージ(iStock.com/xijian)

――お母さんはこの状況にどう反応していましたか?

さすがに親子ではなくなることを嫌がっていました。でも、一度言ったことを取り下げることは絶対にない父の勢いに押されて、泣く泣く覚悟を決めるしかなかったようです。

高1で養子縁組を解消する前後は、母に対してもちょっと不信感というか、なんで味方してくれないのと思ってしまって。母との連絡もシャットアウトしていました。

それでも基本的には母のことが好きだったので、高校2年生くらいからまた母と連絡をとって、父が帰宅する前に元の家に遊びに行って、母や妹たちと話してから帰る……というような生活が高校卒業まで続きました。

――養子縁組を解消した時点で、本来であれば実の父親に扶養義務が発生するのですが、井上さんの実の父親はこのことを知っているのでしょうか。

母も連絡をとっていなかったので知らないと思います。離婚した後、すぐに再婚して養子に入ったので養育費ももらっていなかったのではないでしょうか。

ーステップファミリーの難しさと養子縁組解消ー

一瞬にして相手を和ませるやわらかな空気を纏う井上さんの取材は、終始穏やかな雰囲気だった。時おり笑顔を交えながら淡々と過去のことを話してくれたが、継父との不和、そして養子縁組解消という壮絶な経験は、彼女をどれほど悩ませ、苦しませたことだろう。

あまり馴染みのない、しかしステップファミリーの関係がうまく構築できなかった場合には、可能性の一つとして十分にありえる「養子縁組解消」についてAuthense法律事務所の白谷英恵弁護士に解説していただいた。

【白谷英恵弁護士監修】未成年の養子縁組解消と戸籍

まず、一般的に、養子縁組を解消する場合、市町村長に離縁の届出をすることになります。これが協議離縁(民法811条1項)です。原則、養親と養子が協議を行うことになりますが、養子が15歳未満の場合は、養子の離縁後にその法定代理人となるべき者が、養親と協議することになります(民法811条2項)。

協議がまとまらなければ、家庭裁判所に離縁調停を申し立てます。調停離縁もできない場合には、離縁を求める裁判を提起することとなります。裁判で離縁が認められるためには、法律上の離縁理由が必要(①相手から悪意で遺棄された。②相手が3年以上生死不明である。③その他縁組を継続しがたい重大な事由がある。)となります。

養子縁組を解消(離縁)した場合、原則として、養子は養親の戸籍から除籍され、縁組前の戸籍に戻る、または、新戸籍を作ることになります。縁組前の戸籍が、婚姻、養子縁組、死亡などにより全員が除かれている場合には新戸籍をつくります。養子が未成年でも、縁組前の戸籍がない場合には、新戸籍を作ることになります。

基本的に、養子は、養子縁組前の氏に戻りますが、養子縁組から7年が経過していれば、養子縁組時の姓を名乗ることも可能です。ただし、離縁から3カ月以内に市町村に届出することが必要です。

仮に、実父が、子と養親の離縁の事実を知り、子の扶養を希望した場合ですが、子を扶養するためには父と子の戸籍を同じにしなければならないというものではありません。法律上の義務扶養義務は、親子関係があれば、戸籍の状態に関わらず、当然に親が子に負うものです。


【体験談③】「お前には無理」と言った継父を見返したい一心で叶えた夢
avatar

弁護士: 神奈川県弁護士会

白谷 英恵

Authense法律事務所 横浜オフィス

〒220-0004 神奈川県横浜市西区北幸1丁目11-20相鉄KSビル6階

24時間受付(平日/土日祝)

初回無料

*料金詳細は各弁護士の料金表をご確認ください

その他の記事

離婚、夫婦問題・修復も オンラインで無料相談

離婚なら

弁護士を探す

夫婦問題・修復なら

カウンセラーを探す