【共同養育コーチ/前編】まさか子どもに会えなくなるとは…警察署で初めて知った親権を持たない親への対応

更新日: 2023年07月14日

「離婚後も二人で子育てをしたい」という思いから、父親が親権を、母親が監護権を持つことにしたと話すのは、長野県在住の共同養育コーチ・山本麻記さん。離婚から数カ月経ったある日、娘と過ごしているところを同居親である父親に通報されてしまったそうです。山本さんが共同養育コーチを始めるに至った経緯を聞きました。

山本麻記(やまもとまき)/1979年生まれ、長野県在住。離婚後の子育て「共同養育」のコーチ。 コーチングスクールの認定コーチを卒業、パーソナルコーチとして活動する。経営者、フリーランスのコーチで人材育成や社内研修も行う。中学1年生の娘と暮らす。

子どもを信頼することが共同養育の第一歩

――山本さんは別居親の当事者であり「共同養育コーチ」として活動されています。共同養育コーチの活動内容とはどういったものでしょうか。

離婚をきっかけに子どもに会えなくなった方からの相談を受ける他、共同養育を始めるに当たっての親教育プログラムという位置づけで講座を開催しています。

これまで学んできたコーチングのコミュニケーション手法を取り入れ、知識だけに留まらない、より実践的なプログラムになっています。

――今、注目されている共同親権の足がかりとして共同養育の実践はどのように関わってきますか。

“親権”を意識しない状態で婚姻生活を送る方が多い中、関係性の変化を迎えた離婚後に、権利を平等に持つことの難しさを感じています。

後ほどお話しますが、私自身、面会交流調停条項という強制力に助けられた部分があるので権利を持つことの必要性は十分に感じています。しかし、それは土台の部分でしかありません。

離婚後、子どもにどんなふうに接してどんな言葉をかければいいのか。頭で理解するよりも具体的、実践的な親子の関係性を作っていくことの方が大切なのではないかと思っています。

そして親同士が揉めている時、その間を行き来する子どもがどんな負担を抱え、それが大人になってからどのような影響を与えるのか私たちは理解する必要があると思います。離婚後の子育てというより難しいことに挑戦する中では、「相手の対応が、権利が」という以前に「自分なら何ができるか」という視点を持つことが重要なのではないかと私は思います。

――活動のコアになっているのは、子どもとの関わりといった部分になるのでしょうか?

そうですね、子どもとの関係性を作ることが大切だと思っています。子どものことを信頼できるようになると、相手の子育ても“子どもの糧”になると考えることができるようになります。そのうえで、自分も子どもと一緒にいる間に、どんな関わり方ができるか考えていくことができます。

自分と相手との関係性を気にしてしまいがちですが、まずは目の前の子どもとのコミュニケーションを大切にしてみる。大切にされたその子は、きっとまた別の人を大切にすることができるでしょう。

※写真はイメージ(iStock.com/maruco)

「離婚後も二人で子育てをしたい」父親が親権、母親が監護権を持つことに

――山本さんの「対話で社会を創る」という理念に通じていくわけですね。ここからは、山本さんが共同養育コーチを始めるまでの経緯を教えていただければと思います。離婚することになった時、親権についてどのような話し合いがあったのでしょうか?

私が離婚をした時に「共同養育」という言葉はありませんでしたが、私は離婚後もお互いに子育てをしたいし、そうでなければ困ると思っていたんです。しかし、なかなか向こうの合意を得られなかった。子どもと離れることに対してすごく不安な気持ちがあったのだと思います。

私の世代ですと、安室奈美恵さんとSAMさんの離婚が記憶に残っているのですが、父親が親権、母親が養育権を持ち、近くに住んで一緒に子育てをしていたという報道がありました。そういうやり方もいいなと思ったので、うちも親権者を父親にして娘と私が生活を共にする形で当初は決まりました。

まるで犯罪者、初めて知った親権を持たない親の扱い

――この段階では、親権を持たないことへの不安は感じていなかったのですよね。

親権がなくても親は親だと思っていましたし、お互い子育てをするつもりで離婚をすることしか考えていなかったです。

親権を持たないとはどういうことなのか、考えなければいけないことにも気付いていない状態で、まさかゆくゆく子どもに会えなくなるなんて思いもしなかったです。

※写真はイメージ(iStock.com/Nadezhda1906)

――娘さんに会えなくなってしまったのはなぜですか?

娘が3歳の頃に離婚して、週に2、3回娘は私の家からパパの家に行く形で落ち着いていました。娘が生まれたと同時に起業したとはいえ、自立できるほど稼いでいない状態からのスタートだったので、本職をしながら夜はアルバイトをするという生活が始まって。私がいない夜の間は向こうで見てもらったり、3人でご飯を食べたりということもありました。

離婚後2カ月ほど経ったある日、「子どものためにこういう状態はよくないから家に戻ってこい」と言われたんですね。でも私は復縁する気は全くなかったので断りました。それを機に段々と言動が度を超えるようになってきたので、弁護士さんに相談することにしたんです。

向こうもいろいろと調べたり誰かに相談したりしていたと思うのですが、「親権がないから、それは誘拐だよ。家に戻ってこないなら娘は俺が育てるから返して」と言われたんです。

――離婚する時には想像もしなかった言葉ですよね……。

そうですね。そこからさらに2カ月娘のことでもめ続け、弁護士さんに相談して調停を申し立てることにしたんです。同意して一緒に住んでいるはずなのに誘拐になってしまうのかと、親権がないことへの不安を感じ始めた時期でした。

いよいよ翌週月曜日に調停を申し立てるという直前の金曜日のことでした。パパの家に行く予定の前日から娘が熱を出してしまい保育園をお休みしたんです。

「熱が下がったら日を改めて家に行かせるから」と向こうに伝えたところ、もう娘を返してもらえないのではないかと思ったらしく、警察に通報されてしまって。「お父さんが『娘さんが誘拐された』と言っているのですが、事情をお聞かせ願えますか」と警察に言われ、娘と共に警察署に行き経緯を説明しました。

※写真はイメージ(photoAC)

「事情はわかったけれど、被害届を出されても困るでしょう。警察としては親権者の元に返すという対応しか取れないので、あとは裁判でやってください」とのことで……。その時に弁護士さんに来てもらったのですが、「娘をつねってでも『パパのところに行きたくない』と泣かせろ」と言われました。でも、そんなことはできません。

そこまでしなければ娘と一緒にいることはできないのかと。親権がないことで犯罪者のような扱いを受けてしまうのだと、その時に初めて知ることになったんです。この時から私は“別居親”になりました。

情報不足で苦労した弁護士探し

――翌週、予定していた調停の申し立ては行ったのですか。

いよいよ調停というタイミングで娘を連れて行かれたので、ショックが大きく絶望の余り、調停申し立てを取り下げることにしたんです。

また、弁護士さんの心無い発言に信頼を失い、解任することに……。それでも、このまま娘に会えない状況が続いたとして「ママが会いに来ない」と寂しい思いをさせるのは嫌だったので、娘と会う手続きを進めるべく新しい弁護士さんを探すことにしました。

――新しい弁護士さんを探すのは大変でしたか。

長野県内にも弁護士さんはたくさんいるのですが、探すのはすごく苦労しました。9年前の当時は今ほどインターネットの情報が充実していなかったので、ホームページを見ても事務所の所在地と写真が少し載っているくらい。家事事件を扱っていると書いてあっても、私のケースを受けてもらえるのか判断できませんでした。

ようやく見つけた愛知県の弁護士さんに電話相談をしたところ、「遠方なので長野県に行くことはできないけれど、僕が昔争ったすごく強い女性弁護士なら麻記さんの力になってくれるかもしれない」と長野に住む先生をご紹介いただきました。

新規案件は受けていないとのことだったのですが、事情を話すとすぐに親権者変更と面会交流調停の申し立てをすることに。結局、その先生に5年ほどお世話になりました。

――申し立てに対する相手の反応はどうでしたか?

最初、向こうの主張は面会交流はあっても月1程度とのことでしたが、交渉を進めるうちに突然母親と娘を引き離すのはよくないと、あちらの弁護士や調停員の方にかなり説得をされたようでした。

親権者変更を取り下げるからもう少し娘に会わせてほしいと言うと、結果的に月4回の面会交流が決まりました。娘が連れて行かれたのが10月の終わりで、最初の調停が始まったの12月。娘に会えたのは1月の終わりのことでした。


【共同養育コーチ/後編】親権を持たない別居親の私が共同養育を実現するまでの5年間

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