【体験談①】離婚後、家に帰らず私を置いて出産していた母
更新日: 2024年12月11日

10歳の頃に親の離婚を経験し、特に「お金」の問題で大変な経験をしたという羽津千幸さん(仮名)に、「子どもの視点から見た親の離婚」についてお話をうかがいました。羽津さんは、親の離婚を経験した子どもたちの声をまとめた冊子『「離婚の子ども」の物語』にも登場している1人です。「離婚の子ども」の当事者かつ公認心理師の立場から冊子の共同執筆者を務めた筆者がインタビューを行いました。
離婚問題は、子どもの立場では何が起きているのかは理解しづらく、声にすることが非常に困難です。しかしながら、そのような背景を考慮することなく「子どもの声を聞こう」などという言葉が一人歩きし、場合によっては、子どもに半ば強引に聞き出した意見が「子どもの意見」として利用されることもあるようです。
子どもの頃に体験した親の離婚の影響は、子ども自身が成長し、大人になってはじめて理解できる部分がたくさんあります。たとえば、離婚の仕組みや人間関係の機微を知ることで親の離婚にまつわる出来事が整理される、などはその代表例です。
当時の視点と大人になってからの視点を統合して、はじめて「子どもの意見」「子どもの本音」が語られるようになるのです。
10歳の頃に親の離婚を経験した羽津千幸さん(仮名)は、大人になった今、何を思うのでしょうか。
喧嘩する両親を見て育った小学生時代
――『離婚の子ども』の冊子で、羽津さんは小学生の頃に、お金にも苦労されたと書かれていますが、なぜそのような状況になったのでしょうか。
最初のきっかけは、母親があまり家に帰ってこなくなったことでした。当時の記憶はあまりないのですが、銀行の袋を持って両親がもみ合いになってるのは記憶に強く刻まれていますね。
実家の片づけをした時に、当時の物品が全部残っていたんです。そのなかに、私から母に宛てた手紙が見つかりました。手紙には「ちゃんと帰ってきてほしい」ということが書かれていました。それを読んで当時の記憶が蘇ってきたというのはありますね。
――何年生くらいのときの手紙だったのでしょうか。
小学5年生の……離婚する前かな。「この日は遠足があるから帰ってきて弁当を作って」とか「この日は墓参りに行くからちゃんと帰ってきて」と書いてありました。普段はおばあちゃんが担ってくれてはいたのですが、手紙のなかで「子どものことも考えて」と母に向けて書いていましたね。
――私も幼少期に同じような家庭環境で過ごしましたが、羽津さんのように手紙で伝えるという手段を持っていませんでした。それができたのはすごいですね。
母とあまり会えていなかったから置き手紙にしたのだと思います。

※写真はイメージ(kazoka303030 - stock.adobe.com)
自宅のガス停止、スーパーの買い物は「ツケ」、届かない連絡網
――家が貧しくガスが止められたというエピソードが冊子に書かれています。他にもお金に困ったエピソードはありましたか。
まず月謝が払えなくて習い事を辞めなければいけないことがありました。また、ふだんスーパーで買い物をするとき、個人商店だったこともあり「ツケ払い」にすることができたんですよ。
するとある日、お店から「冷蔵庫が壊れて買い換えたいからツケの分を返してください」という手紙が家に来ていました。おそらくツケが10万円くらいになっていたんでしょうね。
でも、そのときは支払わないとガスが止まるという督促状がすでに「赤紙」で来ていたし、電気と水道はさすがに止められたらまずいから、それを優先的に払って、というやりくりをしていた時期だったんです。とてもツケまでは払えなくて困りましたね。
電話は真っ先に止まったので連絡網がうちには届かなくて他の生徒に迷惑をかけることもありました。母は家に帰ってきませんでしたから連絡網も私が担当していたんです。
20年たったいまも苦しめられる切実な「お金の問題」
――例えば親子関係や夫婦関係において、経済状況が関係性の良し悪しに影響すると思うことはありましたか。
うちはお金があったら、もう少し家庭が円満になっていたと思います。父はリストラされて収入を失ったことをきっかけに、燃え尽きて働く意欲をなくしてしまったように見えました。
夫婦関係にもお金が絡んでいましたし、離婚した後もお金の問題がずっと続いていました。私の奨学金を勝手に使われたこともありましたしね。だから私の場合は本当にお金に悩まされて、それが今もずっと続いてると感じます。

※写真はイメージ(Pormezz - stock.adobe.com)
――小学生や中学生の時期というのは、自己形成において重要な時期とされています。お金がないという貧困の問題と自己形成について、当時を振り返ってなんらかの影響はあったと思いますか。
私の場合、「貧困だから行きたい学校に行けなかった」ということはありませんでした。むしろ「こんな状況だからこそ、やってやる!」という方向に向かうことができました。
実際に奨学金を借りて行きたい学校に行けたので、自己を保っていられたのだと思います。ただ、それには祖母や叔母がギリギリのところで助けてくれた事実もあって出来たことなので、そのサポートがなければ、どういう選択をしていたのかわかりませんでした。
――本来、そのサポート役であるはずのお母さんがしばらく家を不在にし、子どもを連れて帰ってきたというお話がありました。最初は「知り合いの子」だと嘘をつかれていたけれど、後から知らない男性との子どもだと知らされた、とのこと。そのときはどんなお気持ちだったのでしょうか。
やはり裏切られたという気持ちがありました。それはもう、ものすごくね。今ももちろんあります。ただ、当時は裏切られたという気持ちと、生まれた弟は悪くないという気持ちがあったので、結局、自分の気持ちに蓋をする形になりました。
――お母さんにそういう気持ちを直接ぶつけることはなかったのでしょうか。
ないですないです! 母親の嘘がわかったのは、子どもを連れて帰ってきた3日後くらいでした。他人の家の子どもだったら「いつ迎えに来るの?」という話になるので観念したんでしょうね。相手の男性とは会ったこともなかったので「絶対再婚はやめてくれ、絶対無理!」という気持ちだけは伝えました。
仕事をしていると思っていたのに、家を不在にして子どもを作るなんて無責任だし裏切られたと思っていました。

※写真はイメージ(kapinon - stock.adobe.com)
――そんな気持ちを抱えているなかで、もし母親が再婚を選択していたら大変でしたね。
そうですね。もし再婚した場合、「自分たちばかり幸せになって……」という気持ちが強くなり、親子の縁を切るために戸籍を抜くことまで考えていたと思います。
あとは「その男性の子どもになるなんて、それまで全く関わりもないのに意味がわからない!」という感じでしたね。
もっと甘えたかった、愛されたかった
――大学時代、彼氏ができたものの「複雑な家庭の人とは結婚できないから」という理由で振られてしまい、うつ状態になったと冊子に書かれています。そのときに初めて「もっと母に甘えたかった」という自分の思いに気づいた、とのこと。人によっては「もっとお金があったら」などと考える人もいるかと思いますが、母親との関係性に思いが向かったのはなぜだと思われますか。
離婚した後にちゃんと子どものほうを向いてほしいと感じていたからだと思います。確かにお金の問題もありましたが、母には家に帰ってきてほしかったのです。でも、母は男性の家にいて「(私が暮らす家には)帰りたくない」と言っていました。
離婚後に新しい男性に気持ちが向かうのではなくて、まず子どもたち。その次に新しい男性というならまだ理解はできるし、応援もできると思うのですが、その順序が違うのではないかという思いがずっとありました。理解できないという気持ちが強かったぶん、お金の問題などよりも、もっと母に甘えたかったという気持ちになったのだと思います。
――別れた父親のことを思い浮かべることはあったのでしょうか。
思い浮かぶことはありました。でも、10歳のときに別れてから関わりがなかったのでなかなか……。今は亡くなってしまったので関わることもできなくなり、そこは残念だったなと思います。父親が私のことを実際にどう思っていたのだろう、というのは気になりますしね。
――どうして気になるのでしょうか。
突き詰めると、自分が愛されていたかどうかを知りたいのではないかと思うんですよね。それは「愛されていたかった」「愛していてほしかった」という気持ちの裏返しでもあると思います。
私の場合は、幼稚園の元園長先生に偶然お会いする機会があり、そのときに「お父さんは3人いる子どもがかわいくでしょうがないって言ってたんだよ。子煩悩な人だったんだよ」という話を聞きました。園長先生が嘘をついているとも思えなかったので、その言葉を信じることにしました。実際、私はそれが心の支えになって前向きになれましたね。
――「離婚の子ども」たちは、多かれ少なかれ自分のなかで気持ちに区切りをつけたり、身に降りかかる出来事に対して「自分なりの線引き」をして折り合いをつけるようなところがあります。一度折り合いをつけた出来事に対して、実際の真実と向き合うのは、それまでの認識を修正する必要があるため決して簡単な作業ではありません。羽津さんの場合はどう感じましたか。
自分の存在価値というと大げさかもしれませんが、「存在していいんだな」と思えたのだと思います。自分の存在はぞんざいに扱われていると思っていたので、アイデンティティが認められた感覚もありました。

※写真はイメージ(lielos - stock.adobe.com)
――もし、両親が離婚をしていなかったら人生は違っていたと思いますか。
離婚していなければ違っていたでしょうね。もし貧乏だったとしても両親が子どものほうを向いていて、家族で笑って暮らせたらそれで幸せだったと思います。「お金はないけど、やれる範囲でやろう」といったぐあいに。お金には恵まれていなくても、恵まれている家族、ですよね。
――そう考えると、貧困かどうかよりも家族としてのつながりのほうが子の人生においては大事、と言えるのでしょうか。
もちろんお金も大事ですが、親が親として信頼できるほうが大事だと思います。
後編:【体験談②】「ふざけるな」行き場のない怒り… 親の離婚を経験した私が伝えたいこと
※この記事は2024年11月27日に公開しました
その他の記事