【座談会③】「やっと会えた」亡くなるひと月前 50年ぶりに父と再会

更新日: 2024年10月08日

10年ぶりに改訂された冊子『「離婚の子ども」の物語』の発起人である中原さんにこれまでの反響を伺うと共に、執筆者の一人である小林さん(仮名)に父親と50年ぶりに再会したときのことをお話いただきました。

10年前よりも届きやすくなった声、支援者からの反響も

【座談会①】親の離婚の影響は50代、60代になっても……元子どもの声を聴く
【座談会②】うつを発症後、「死んだ」と聞かされていた母親に会って

――今回、改訂版の冊子を出版してメディアに取り上げられるなど、多くの反響がありました。実際にこれまでの反響を振り返ってみていかがですか。

中原:率直に驚きました。ある程度の需要はあるだろうと思っていましたが正直これほどとは、という気持ちです。もう一つの驚きは、読者の属性がバラエティに富んでいたことです。

同じ問題を抱えている当事者の需要は想像していましたが、改訂版では学校の先生、お医者さん、それから家事調停員という「支援者」になる立場の人も多かったんです。

※写真はイメージ(iStock.com/fizkes)

――しかも口コミでそういった方々に広がっているようですね。前回と比べると、具体的にどのくらい違いますか。

中原:冊子の購入申し込みは5倍ほどの違いがありましたね。支援者になる方々が、ふだんの現場でいかに「離婚の子ども」の状況を理解したがっているのか、そういう人が全国にいるという事実がわかったこと、その人たちの熱意に触れられたこと、それが本当に嬉しかったですね。

小林:本当に嬉しいですね。私も「やっとここまで耳を傾けてもらえるようになったか……」という気持ちになりました。

――この冊子では両親の離婚を経験した子どものことを指して「離婚の子ども」と呼んでいます。この呼び方にしたのはどういう理由からだったのでしょうか。

中原:20年ほど前の話になりますが、家族関係で困難を持つ人々のことが「アダルトチルドレン」と呼ばれるようになりました。私たちのような、両親の離婚を経験した子どもを示す、なんらかキーワードが必要だと考えていたんです。

海外の文献を読んだところ「adult children of divorce」という呼び方が一般的だと知り、それを直訳して「離婚の子ども」としました。完全にしっくりきているわけではないのですが、一方でそれしか言いようがないなとも思っています。

――私は、片親環境に置かれた子どもが大人の想像を超えてどれほど大変かということをひと言で示すために「片親サバイバー」という言葉を用いるようになりましたが、やはりキーワードは大事だなと感じます。

中原:「離婚の子ども」というのは、何歳になっても「子ども」です。「もう大人なんだから」と言われることがありますが、そういうことではないんですよね。

親の支配というのも子どもが何歳になっても続きます。精神的な支配だけでなく、たとえば介護の問題が出てきたり、親の借金の問題を何十年も経ってから背負うことになったりなど、親の離婚の影響は成人後も長く続きます。

亡くなるひと月前、50年ぶりに再会した父

――「離婚」についての話はすべてと言っていいほど「親目線」で語られているのが現状で、子どもから見た離婚についてはほとんど理解されていません。改めて子どもにとって、「親の離婚」とはどういうものだと思いますか。

小林:とにかく親が思う以上に子どもは大きな影響を受けています。私はその影響を50年も背負うことになりました。重い腰が上がらず動かなかった。いや、動けなかったんだと思います。

私としてはやっとの思いで父に会いに行ったものの、そのときにはもう体調が悪く亡くなるひと月前でした。

※写真はイメージ(iStock.com/Bevan Goldswain)

父親の親族からは「なんで今ごろになって来たの?」と言われましたが、私としては「なんとか死ぬ前に間に合った。やっと会えてよかった!」という気持ちでした。私にとっては10歳から50年間ずっと父親に対する葛藤が続いていましたが、彼らからすると大昔に終わった話だったんです。

中原:探し始めたときにはすでに親が亡くなっていることもあります。そうなると、いつまでも経っても子ども自身だけでは完結できない問題が残り続けることがありますね。

小林:入院している父に会うために病院に行ったときも、じつは最初、会わせてもらえなかったんです。「親子であることを証明できる書類を持っています」と言っても目を通すことさえしてくれませんでした。

父と同じ籍に入っている奥さんの許可が必要で、奥さんの意向が優先されました。父と私の問題なのに、おかしな話ではないかと衝撃的でしたね。

――子どもからすると一世一代の場面なのに……それは大変でしたね。お会いできたときの印象はどうでしたか。

小林:父が40歳で家を出て、再会したときには90歳で病床ですから、記憶の中の父とはまったく同一人物とは思えませんでした。確かに正真正銘の親なんだけれども、父だと言われるとピンとこない、という感情でした。

でも、確かにDNA的なつながりは感じたんです。父と会ったときに写真を撮ったんですけど、指の形が私とそっくりで…。もういろいろ似てるとこがあるので、それはもうね……。

 

【座談会①】親の離婚の影響は50代、60代になっても……元子どもの声を聴く
【座談会②】うつを発症後、「死んだ」と聞かされていた母親に会って
【座談会④】「最低限のつながりを絶たないで」面会交流以前に保障してほしいもの

この記事は2024年9月17日に公開しました。

その他の記事

離婚、夫婦問題・修復も オンラインで無料相談

離婚なら

弁護士を探す

夫婦問題・修復なら

カウンセラーを探す