【座談会①】離婚すると“子どもの権利”はどうなる?家族法研究歴50年、二宮周平先生と考える
更新日: 2024年08月02日

親の離婚を経験した子どもたちは、大人になった今、何を思うのでしょう? 家族法研究歴約50年、一般社団法人 面会交流支援全国協会(ACCSJ)の代表理事も務める立命館大学名誉教授の二宮周平先生と、親の離婚を経験した4名の座談会を実施。前編では、それぞれの離婚時の状況と、二宮先生が親の離婚を経験する子どもに届けたいメッセージをお伝えします。


家族法の研究歴50年「子どもは権利の主体」であると日本に根付かせる
――二宮先生が離婚や面会交流支援の問題に携わるようになった経緯を教えていただけますか。
二宮:1970年代から、家族法の勉強を始めてもうすぐ50年です。事実婚の研究に始まり、選択的夫婦別姓、さらに婚外子差別の問題へと展開し、家族法における子どもの平等についても研究を進めていました。
ちょうど89年に国連で子どもの権利条約が採択され、子どもの生きる権利、育つ権利、守られる権利などが定められました。なおかつ、子どもは権利の主体ですから、自分の考えや思い、意見を述べる権利があることも規定されたのです。
日本でも子どもの意見表明権を定着させる必要を感じていた頃、離婚のことにも関わるようになりました。子どもは権利の主体ですから、子どもが望む以上、親が別れても子どもは親と会う権利がある。そういう仕組みにしなければならないと感じていたのです。
そんな中、2000年代の中頃から子どもと別居親との面会交流を支援する第三者機関が少しずつ現れ始めました。支援の現場を見て感じたのは、父母及び子に対するサポートの必要性です。親にとってみても離婚後の親子交流は初めてのことなので、うまくいかなくて当たり前。
第三者機関のサポート体制があれば、面会交流が円滑に進み、離婚後も親子関係が継続する可能性が高まると思い、面会交流支援についても研究を進めています。
ケースバイケースの親の離婚、子どもの気持ち

――「子どもは権利の主体」というお話がありましたが、みなさんは親から離婚の説明を受けましたか?
中沢:小学校高学年の頃から両親のケンカが増え、なんとなく「うちの家族はいつか終わるな」と感じていたのですが、母から「来月から私たちは東京に行く」といった内容の長文のメールが届き、離婚を告げられました。
「嫌だ」と思う隙もなかったですし、もう行くしかないという感じで、特に母と話すことはなく父には内緒で、私たちだけで東京に引っ越しました。
――井上さんはいかがでしたか?
井上:両親が一度別れたのですが、同じ人同士で再婚をしたんです。結婚式の前日に、父が浮気をしていたことに母が気付いてしまい、結局また離婚することになって。
私の場合は、離婚の話し合いの場に呼ばれて「どっちに付いていきたい?」と聞いてもらえました。お父さんが嫌いというわけではなかったのですが、母との絆が強かったので私の気持ちは固まっていました。

※写真はイメージ(iStock.com/itakayuki)
南:僕の場合は、父が家に帰ってくると僕と母がボコボコにされ、家の中はぐちゃぐちゃ……それが日常でした。母に「父と別れようよ」と話していたのですが、「金がない」と。
それに、腕っぷしの強い父に離婚を切り出したら、僕と母は殺されるんじゃないかというぐらい父が怖かった。
だから父と別れるために、とにかく筋トレをしたんです。高校2年生の時、父との腕相撲に勝ってすぐに引越しの手配をして、父が仕事に行っている間に家を出ました。
二宮:DVや虐待がある場合には、自分たちを守ることで精一杯。話し合いは難しいでしょうし、家族が出て行った理由をお父さんの方でも察しますよね。
松田:私は、父と母だけの話し合いの後、泣いている母の姿を見て「お父さんは悪者なんだ」と認識した記憶があります。今思えば、母が思いを吐露する先が娘の私だったのだと思いますが……。
離婚することは既に決まっている前提で母から話があったので、離婚について父と話した記憶はありません。

※写真はイメージ(iStock.com/fizkes)
――4名のお話を受け、二宮先生はどう思われましたか。
二宮:子どもにとって、親の問題はその後の人生に関わる重大なことです。
「別れても親子であることは変わらないんだよ」「責任を持つから心配しなくていいよ」と子どもに話をして、安心させること、それから引越しや転校、名字が変わるかどうかも言ってあげなければ、子どもは何もわかりません。
その話を聞いた以上、子どもの方も「こうしてほしい」、あるいは「別れてほしくない」と自分の思いを伝えることを保障する必要がある。
ところが、今4人のお話を聞くと、メール一通で東京行きを決めたり、子どもの前でお父さんの浮気を立証したりと、子どもにつらい思いをさせていることがわかっているから、親の方もなかなか離婚について話しづらい。
南さんの場合は命に関わることですから、落ち着いてから関係修復を考えるにしても当面は逃げるだけですよね。
松田さんの場合も、お母さんが泣きながら話をしていたわけですから、説明や話し合いではなくなっているのではないでしょうか。
私が先に述べたのは理想的なモデルで、現実にはそんなゆとりはないし、不可能な状況が多々あるということがよくわかります。
知識があれば行動が変わる
――二宮先生が『子どものためのハンドブック 親の別居・親の離婚』を作られた理由は、親からの説明を受けられない子どもに届けたい、という思いからだったのでしょうか。
二宮:これは、家庭裁判所の調査官が子どもの意向調査をするときに、事前にこのような情報提供があると、子ども自身の意見が言いやすくなるのではないかという思いから作ったものです。
主に小学校の高学年・中学生以上のある程度内容が理解できる人を対象にしています。目次は、このようになっています。
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『子どものためのハンドブック 親の別居・親の離婚』より
「これからどうなるの?」というページに記載しているように、「大変なこと、つらいことがたくさんあったでしょう。でも、これからの人生はあなた次第です。あなたが人生の主人公。これだけはわすれないでね。あなたは悪くない。自分の気持ちを言葉にする。分からないことは、自分で調べる。相談できる日値を見つける。」と、子どもたちにエールを送りたかったのです。

――こういった冊子があれば、親の離婚を経験する子どもたちは安心して自分の思いを伝えられそうですね。
二宮:当所、家庭裁判所の調査官と協力しながら作ったのですが、実は、この冊子にはより子どもに寄り添った表現になるよう改訂を加えています。
法科大学院で「子どもの意思の尊重と情報提供」というテーマの授業を行なった際、親の離婚を経験した院生から個人的に意見をもらい参考にしました。
たとえば、以前は「あなたが(別居親に)会いたいと思うのに遠慮はいりません」と書いていましたが、その院生から「この表現では“会いたい”が前提になっているのではないですか?」という指摘を受けました。

そのため、「会いたい?それとも会いたくない?どんな気持ちになってもいいのです。明日はちがう気持ちだっていいのです。だって、あなたは毎日大きくなっていく、子どもなのですから」という表現に変更しました。
別の授業でこの冊子を紹介したことがあります。その後、授業の感想として、親の離婚に直面していた学生から「自分の思っていることを伝えてもいいんだと知り、母と暮らしたいとはっきり言うことができました」というコメントをもらいました。
とはいえ、皆さんの中には、これを知っていたとしても自分の意見を伝えることが難しい方もいたでしょう。そうなると、やはり離婚を考えた時に、子どもにどう接するべきか親に学んでもらう機会が必要なのではないかと思いますね。
――冊子を読んだ感想を伺ってもいいですか?
中沢:親権者の部分について思ったことをお伝えしてもいいですか。
高校生の頃、母の再婚相手とうまくいかず、家を出たくて寮の申込をしたんです。親のサインを新潟に住む父にお願いして、いざ寮に向かうと「親権者の母親からストップがかかっているので、お受けできません」と言われてしまって。
そこで初めて親権者って何だろう、と思いました。私のことなのに母親の意見が通る。私にとっては親なのに父親の立場は何なの、と。
離婚する時に、親権者についての説明を受けていたら、違う方法を考えられたかもしれないし、親にも迷惑をかけずに済んだのかなと思います。

※写真はイメージ(iStock.com/Wiphop Sathawirawong)
二宮:お父さんは、中沢さんが相談しに来てくれたのは嬉しかったのではないでしょうか。
カナダやアメリカでは、親の離婚時に子どもたちへ向けたガイダンスが盛んに行なわれています。この冊子でも『Knowledge is power. 知っておきたい法律のこと』という項目の中で、親権者や面会交流、養育費、離婚の方法や名字について触れています。
離婚後に自分がどうなるか、自分にはどんな権利があるのか、知識があれば考え方や行動も変わりますよね。
後編:【座談会②】共同親権についてどう思う?子どもの立場から見た「親の離婚」
この記事は2023年10月31日に配信しました。
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